佐川峯のコラム

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 コラム

〜佐川 峯さんの思い出など

1)1940年、李香蘭さんのバンドメンバーとして満州各地で演奏した。プロ一年生の佐川峯さんは演奏に夢中で李香蘭さんと一緒の集合写真を撮られた筈なのに、そのような写真は一枚も見当たらない。
プロの初年度に李香蘭さんのバンドと一緒に演奏したことや、各地で見聞したことはその後のプロ生活において貴重な体験・勉強になった。

当時は、プロでもバンドネオンを持っていない時代だったので佐川峯さんがバンドネオンを持っていることを知ったバンドメンバーにびっくりされたことも思い出のひとつ。


2)淡谷のり子さん:恥ずかしい話とのことですが、昭和15年(1940年)に学校の先輩で既に超一流歌手でいらした淡谷のり子さんの「バンドに入れていただきます」という約束を守らなかったことです。
昭和22年(1947年)、東京目黒の雅叙園にあった「コーヌ・コピア」で演奏中に突然、目の前に人が立ちはだかり「坊や!!約束を破ったわね!」と怒鳴られました。はっとして見上げると淡谷のり子さんだった。
恥ずかしくてうつむいたまま演奏を続け、終わってからあわてて淡谷のり子さんに謝りに行きました。淡谷のり子さんは穏やかな笑顔で謝罪を受け入れて下さりお茶をご馳走になりました。
昭和15年の約束を破ったことを7年後に叱られてしまった懐かしくも恥ずかしい思い出です。

3)バンドネオンを壊してしまった:27歳か28歳のころのことですが「桜井潔楽団」で演奏中にバンドネオンが千切れて右手に持っていた部分が桜井リーダーに当たりそうになり、ピアノの向こうまで飛んでいったことがあります。
当分の間、演奏よりもバンドネオンを壊したことが話題になってしまった。

4)忘れられない先輩の言葉:「演奏の評価は自分がするものではない。評価は聴いてくれた人たちがしてくれるものだ」。

5)日本に来たタンゴ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_hashi/arc_96/nanbei/episode.htmlLinkIcon
「19世紀末にブエノスアイレスの港に臨む下町ボカで生まれたタンゴは1910年代に流行、日本には、パリ社交界のダンスの名手といわれた目賀田綱美男爵によって1927年に紹介され、1934年テット・モンパレス・タンゴ・アンサンブルというタンゴ楽団がレコードに初めて吹き込んだが、この楽団の歌手とドラムをつとめたのはディック・ミネだった。」
「戦後には、フランシスコ・カナロ率いるオルケスタ・ティピカ等の日本公演も実施されるなど、たびたびタンゴ・ブームがわき起こった。」

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佐川 峯さんの近況です
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Profile

佐川 峯(さがわ みね)
生年月日:1919年(大正8年)12月24日
出身地:東京都
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2011-05-09更新

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